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よくありがちな理屈で、「インターネットは公だから、見たければ見られるので云々」という話。しかし、事実としては、論理的にアクセス可能な状況 と、誰かが好んで見に来る状況が生まれるか?というのは別問題であって、興味を持たれなければ、ほとんど存在しないに等しいと考えれば、相手にしないでく ださい、ということで、解決可能な問題もたくさんある。
インターネットは論理の世界というよりは興味の世界である。
誰も注目しないページにbasic認証をかけようがかけまいが、リンクさえ貼られてなければ誰にもアクセスはされない。つまり、グローバルに公開さ れていても、存在していないのと同じであり、お互いの興味の範囲外になってしまえば、これと同じことは可能なので、何もあなたの平和は侵されないという状 況を作り出すことが可能なはずだ。
世の中、生きていると理屈ではまかり通らないことが沢山あって、もっと曖昧な状態で両者が共存していることは多いと思うが、インターネットを論理で捉えるケースでは、曖昧な状況が許されないことが多い。
我々は、感情を前面に出すのは愚かな行為だと、どこかで思ってるところがある。
しかし、一番愚かな行為は、感情を理屈で正当化する行為である。
嫌なものは嫌だ、という解決できない感情を、決して隠さず、お互いを不快にしないように伝えあうことで、少なくとも、お互い気持よく、配慮しあうことは可能だと思う。
戦略としても、ネットに多い高学歴+理系の人は、理屈を理屈で返すのは非常に得意なので、ネットユーザーに真正面の理屈で攻撃をするのは、そもそも勧めら
れることではないというのもある。不毛といわれる議論は、死ぬほど見てきたし、自分でもやってきたので所謂、老婆心とか言うやつだ。
犬を見ていて、人間がもっと感情を表に出せたら平和になるなぁと思うことがある。相手に好意を抱いたらしっぽがブンブン動き、相手に委縮したら尻尾が丸まり、怒っていたら毛が逆立っているという感情が可視化されていれば、それに対する対応もやりやすい。
ネットコミュニケーションは、あまり感情をすべて見せないようにし、顔も見えない中で、文字で何かを伝えようとすることになる。そのため、そこで全てを理解しあおうとするのは無理があるということは知っておくと楽になれるかもしれない。
"F’s Garage:ネチケットとアーキテクチャという法律のあいだに。 (via petapeta)
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